マイペース

友人が書いているブログでちょっとなかなかいいこと書いてるので、TB久々に飛ばすことにした。

ちょい引用。

がんばるのは悪いことじゃない。間違ったことじゃない。
人は本当に、自分が心の底から楽しいと思うこと、やりたいと思うことなら
「気持ちよくがんばる」ことができるのだ。

あんなに辛い、体を引きずるような、拷問のような「がんばる」しか知らなかったのは
それが私自身の選択でなく
誰かのため、何かのために仕方なく選んだことに対して「がんばっていた」から。
それも自分ではそうと気づかずに。

自分で選んだつもりで、それは本当の自分の選択ではなかった。
頭で、理屈で、ためになるはずだから、と選んだこと。
心が伴っていなかった。

これはそのとおりだと思う。
これを自分はマイペースといっている。

マイペースって楽にすることと勘違いしている人が多い気がするが、あくまで自分のペースを指し示す言葉として自分は考えている。
自身が自らすすんで行いたいと自発的に思って行動したときと、外的要因によって半強制的に行動させられるとき、マイペースは自ずと変わってくる。
本当にやりたいことであれば、自分にとって多少負荷がかかったとしても、それに向かって努力してしまう
つまり前者に基づいて努力したケースが「気持ちよくがんばる」にあてはまる。
それに対し、拷問のような「がんばる」は後者に基づいて努力したケースだ。

で、世の中たちの悪いことに後者のほうを要求されるケースが圧倒的に多い。
まあ、世の中エゴだらけなわけだから、他者のエゴと自己のエゴをすべて通すことは不可能なわけで、社会を形成し維持し秩序を保つためには残念ながら必要でもある。
自らが社会の一員である以上はそれは避けられないことだろう。
その社会とはいかなる小さな単位でもだ。
たとえば家庭という社会。
すべてにエゴを通しつくすことが許されるのは赤ん坊のうちだけだ。
それに耐えられない人は、他者のない世界、あるいは、自らが世界の頂点に立つほかないわけだ。
実際のところ無理なわけで、おかげさまで最近うつ病やら適応障害やら大流行してるけども、あれはもともとあったものが病気として認められるようになったことで増加しているだけであって、今も昔もその実情はそれほど大きくは変わらないのではなかろうかとは思う。
まあ、もちろんその時代と場所における社会的背景、文化的要因、気象的要因等々によって左右はされると考えているが。

ということで、個人的には後者も排斥していない。
かといってやはりできることなら避けたいのもまた事実。
そこでマイペース。
やりたいことに割ける労力とやりたくないことに割ける労力が同じなわけがない。
適度に自らにリミッターをうまく配分することが重要だと思う。
しかしながら、社会的要因、それはすなわち自己以外の存在、他者の存在によって引き起こされるさまざまなエゴの交錯、これに縛られすぎると、自身のリミッターを超えてがんばってしまうことがある。
時には、他者のエゴがそこまで要求していないにもかかわらず、過剰な他者の眼差しからの自己保身要求によってそれが引き起こされることもある。
つまり、ある程度の図々しさも自らを守るために必要なのだ。
好きなこと、心から自らすすんでやりたいと思っていることでも、あまりにがんばりすぎるとカラダを壊してしまったりする。
どっちの「がんばる」にしたってリミッターは必要なわけだ。

マイペース。
これ重要。

「マイペース」への2件のフィードバック

  1. 今更コメント。

    これさー私、今年アタマにいったん完全リセットしたことがあるんだよ。
    もう腹くくって、ほんとのほんとにやりたいことしかやらない!って。
    頭の中の「あれやらなきゃ」とかいう声を全部排除して、
    最低限の子供の送り迎え以外は全部サボって。
    数日間、ただひたすら自分の中から何かの欲求が湧いてくるのを待ってた。

    そんだらさー、意外と、やりたいことってそんなになかったんだよね。
    ちょこっと何か食べたくなったり、しっこ出たくなる程度。
    別に本も読みたくないし、音楽も聴きたくないし、買い物もしたくないし。
    ただ息吸って吐いてしてるだけで別によかったの。

    それまで諸々の「やらなきゃ」のストレスに押し潰されて、
    反動であれこれ楽しいことを必死に求めてたみたいなんだよね。
    本当に湧いてくるのを待ってみると、欲求って意外とシンプルだし少ないんだなーと。

    その後もちろん毎日そんな風に瞑想ちっくに暮らしてるわけじゃなくて、
    まあ適当に配分してそれこそマイペースでやってるけど。
    いったん「なんにもしなくていいよ」って自分に許してあげた効果がでかくて。
    それ以来飛躍的に、↑で言う後者の、今まで苦痛だった頑張りが
    苦痛なくできるようになったんだよね。

    何だろう。
    自分を優先していいとか、嫌なことはいつでも拒否していいってことを
    しっかり腹の底で分かったら初めて「努力」ができるようになった感じ。
    やんなくてもいいんだけど、やろうか、ってゆるい感じで。

    あー長くてすんません。

    1. 長いですね。

      要するに、いい子であろうとしすぎていたってことですね。
      上の文だと

      時には、他者のエゴがそこまで要求していないにもかかわらず、過剰な他者の眼差しからの自己保身要求によってそれが引き起こされることもある。

      にあたるところですな。
      適度にゆるいのがやっぱいいよね。
      ゆるすぎるとつまはじきにされるのでそこには気をつけて。w

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